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![]() ボクは本が好きだ。真理や嘘、その他もろもろのどうでもよいことを秘めながら、確かにそこに存在している。 ボクは星空がすきだ。しかし星座の名前を知らないせいか、星空はボクをまったく無視し続ける。しかも何も隠さずおおっぴろげに。 2年ほど前に作った作品です。 普段は基本的に平面作品が多いのですが、この時はアッサンブラージュというかボックスアートというか、ちょっと立体的なモノを作りました。 まずは素材の説明。大きな鞄は、男はつらいよの寅さんが持っていたような昔のスーツケース、これは地方の劇団が使っていたと思われる代物。その鞄の中に石膏を塗り込めました。なぜ石膏かといいますと、その素材感がいいのです。もちろん安く手に入れることが出来るということも見逃せません。 自分で漉いた和紙には、シダと何だかわからない葉っぱが漉き込んであります。 中国の市場で買ってきた鉄のオタマ。買ってきたのは90年台中頃ですが、当時中国は、まだまだ電化が遅れていて、市場では鶏、鳩、その他いろいろな小動物達や魚などなどは、生きたままで取引されていました。個人で冷蔵庫などを持っている人はいないらしいので(ちょっと地方に行くとレストランでさえ冷蔵庫なんてなかったよ)そのほうが鮮度を保つことが出来る合理的な手段なのでしょう。 富士山で拾ってきた犬とおぼしき骨。 なんだかわからない実験器具。 海で拾ってきた青いFRP(船の一部かな?)と傘の柄、大きなボルト。 農家で干されていた種ようのトウモロコシ。 自作の本。自分でいうのはなんですが結構力作です。(描かれているのは、ちょっと抽象的な風景や木) 自作の開かない本。 ドローィングで描かれた、バイクの一部やエンジンなどの絵。 レコードジャケットとレコードにドローイング。 キッチンからクスネタ、瓶に入ったなんだかわからない実、妻の刷り損じの銅版画の一部などなど。 そしてメインは、手作りの木の人形。 (この作品は3回ほど展示をしましたが、その度に組まれるオブジェ達は小変更) コンセプトはですね。全く大層なことではないんですよ。平たく言うと、当時2歳になる娘を喜ばせること。 まあ親バカですよ親バカ。 それならばかわいい人形や縫いぐるみ、かわいい絵本でもあげれば話は早いのですが、どうもそれらのものには嫌悪感がある。それらは商業主義的なかわいらしさが、ベトベトとはり付いた卑しきものに感じてしまうんです。(個人的にね) それなら自分で『かわいい』ものを作りましょう。そうしましょうといういつもの軽いノリです。 そんな軽いノリからのスタートですが、それなりに悩みました。なんとなくアートでかわいらしさを武器にするのは、頭の固いボクにはズルイような卑怯なような、そんな否定的なイメージがあるんです。なぜって『かわいい』ものは絶対です。かわいいの一言ですべてが許されてしまう御印籠。そんなのアートじゃないじゃんと思ってしまうのです。だってカワイイものつくったらカワイイじゃん。 しかし、今までの経験上、嫌悪感や否定的イメージを抱く時って、どうもそこには無意識に自分が望んでいる事や、求めてることがあるんだよな〜。きっと、本当はかわいいということが気になって気になってしかたがなかった事なのかもしれない。 世の中は、かわいいものが満ち溢れている。考えてみるとやっぱそれって人間にとって本質的な何かなんだろうな。 そんな多くの人を虜にする『かわいい』ってなんなんだぁ〜! まあとにかくやってみるさ。 かわいいといえば、その代表はミッキーマウスだな。ウンウン。 確かにあいくるしいキャラクターだ。初期の頃のちょっとショボイミッキーなんていいよね。ウンウン。 そしてボクも例に漏れずデズニィーランドに行ってしまえば楽しんでしまう。 ディズニーアニメもなかなか面白いし興味深いものもあるぞ。 しかししかしだよ、その影響は世界に対して、あまりにも強く働きすぎているというか、商業的に成功しすぎているせいか鼻持ちならぬ。それにディズニー、その他の可愛らしきモノ達の魔の手は、山奥で生活しているボクたち家族まで、あの手この手でようしゃなく襲ってくるのですぞ。 ミッキーは確かにかわいいでしょう。かわいいともさ。それは認めます。 しかしね、どうもカワイイという一言だけで、思考停止状態になってしまっていないかい? 親的には、カワイイということを自分で考えたり創造してほしい思っているのですよ。 そんな訳でささやかな対抗策を2つとりました。(ささやかすぎるけどね) 1つめは。娘にディズニーランドのことを『ネズミィーランド』といい、なんでみんなネズミの遊園地がいいのかね?ネズミなんてさ、小さいし汚いしね。などと娘に嘘をついた。 2つめは、娘よパパが本当にかわいいということを教えてやろうじゃないか! そんな訳でつくったのが、この『閉ざされた小さな世界の中の嘘つき家族、または愚かな正直者家族』です。 そうボクが考えた、かわいきものとは、俗にいう可愛らしき形態に、性と死、機械、日常、ちょとした凶暴性、温かさ、食べ物、愚かさ、嘘、宇宙の真理(大げさな)等々のエッセンスをとをごちゃ混ぜにしたものです。 娘よどうだ!これがカワイイということだぁ〜! それで、当初のパパの目論見は成功したかどうかというと、娘は確かに、この作品に興味をしめしてくれました。 ネズミの木の人形についた可動式オチンチンなんて大喜びです。 まあ、まずまずの成功かな。 そんな訳でして、親の私がアンチカワイイなので、おもちゃ、本、テレビなど、ベタベタとしたカワイイモノ達に、極力ふれさせていないのですが、それでも娘はディズニーや宮崎アニメ、フリフリしたもの、キラキラしたキッチュなモノ達に惹かれてしまうというのは、もうDNAに書き込まれた根源的な何かが作用しているんじゃないかと思ってしまいます。 これからも、アンチカワイイでいながら真のカワイイを追い求めるなり! 聞いた話によるとディズニーは、(フリーメーソンだったみたいだしね)かなりアナーキーなヒトらしいっすね。 そのあたりのこと誰か書き込んでくれるとありがたいな。 by longladder | 2004-12-21 23:14 | アート?
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